台湾といえばお茶、その歴史と深みは体験したことのある人ならよくわかると思う。目の前で小ぶりの湯飲みに何度もつがれる烏龍茶や普洱茶などのお茶の味わいと体験は日本茶とはまた違う、暮らしや生活に深く根差している感じを受けるものだ。
そんな台湾に高品質の紅茶があることはあまり知られていない。そしてその紅茶を創りあげたのがひとりの日本人であり、その紅茶の生産地では没後70年になる今日でも台湾紅茶の親として尊敬されていることも知られていない。
その紅茶は台湾の真ん中あたり、台中の標高の高いところに位置する風光明媚な湖、日月潭(にちげつたん)の周辺で産する日月潭紅茶。創りあげたのは日本統治時代の技師、新井耕吉郎。
戦前の日本統治時代には新井耕吉郎の指導のものと、高い品質の紅茶を生産し輸出、天皇献上品になったほどの日月潭紅茶だったが1960年代までは盛んだったものの、粗悪品が出回ったり、他の換金作物に転向する農家が出たりしてその後は落ち込んでいた。
再興のきっかけとなったのは1999年の台湾大地震。震災の復興策として紅茶の生産が見直され、そこから少しづつ往時を偲ばせる品質と生産が振興されてきた
僕たちがこの紅茶に関わることになったのは台湾デザインセンターという台湾政府系デザイン振興機構からの紹介による。東京ビッグサイトでの展示会で僕たちがブースを出展していたところ、東京事務所の方が来て農業をデザインする当社のコンセプトに興味をもってくれたのが発端だ。
台湾デザインセンターが毎年進めている、農業生産品とデザインを結びつけ販路を開拓するというプロジェクトに日月潭紅茶を生産する魚池郷農会(日本での農協にあたる)が選ばれ、その紅茶をブランディングしデザインするデザイン会社がマッチングされることになった。本来このプロジェクトは台湾国内の企業と決まっていたそうだが、日月潭紅茶のそのストーリーから、ぜひ日本にも紹介したい、であれば日本のデザイン会社にそのデザインをお願いしたいということで規約を改正して声をかけてくれたということだ。
実際に日月潭を訪れ、その生産地も見学。新井耕吉郎が建てた工場はいまでも農業試験場として使われており、そこには立派な資料館が建てられ耕吉郎の銅像も飾られています。
前列左が新井耕吉郎
日月潭は台湾屈指の観光地。この湖もダム湖であり日本統治時代日本人が水力発電のためにつくったものだそうだ。
日月潭を望む高台にある魚池紅茶試験支所(現在の茶業改良場魚池分場)
お茶畑の説明を受ける。
高地にあるので霧が発生する。これがいい茶葉を育てるのだという。
今も残る新井耕吉郎の建てた工場、現在も使われている。ときおり建て物のなかで杖をつく音が聞こえるという。新井さんが今でもここを見守りにきてくれているのだ、と真顔で語る関係者(!)まさに守護神だ。
日月潭紅茶を製造する農家を束ねる魚池郷農会(日本での農協にあたる)
紅茶復権の立役者、農会の幹事長、王さんから説明を受ける
打合せでももちろんきちんと淹れた紅茶で
茶葉は粉砕しない一枚のままなので大きい。渋みのないまろやかな味。砂糖などをいれずそのまま味わう。
日月潭紅茶、デザインの実際
台湾の農水省の官僚やデザインの有識者の審査員の方々にブランドデザインをプレゼンをした
なにより日月潭紅茶のシンボルマークが必要だと考えた。「日」そして「月」をデザインしたシンボルマーク。このマークをつくるという考え方がとても評価された。
中国語によるプレゼン資料
デザインは無事採用され、実際のパッケージデザインへ。台湾のパッケージ制作のレベルはとても高い。さまざまな技法があり、日本ではとうてい無理な仕様も可能だ。
台湾のパッケージ会社と細かい打ち合わせを繰り返して仕様をつめてゆく。その技術と熱意は
完成した日月潭紅茶のパッケージ
ティーバッグのデザイン
2017年9月には東京ビッグサイトで開催された東京ギフトショーに魚池郷農会が日月潭紅茶のプロモーションのため出展。ブースデザインをおこなった。
【追記】
新井耕吉郎の出身地、群馬県沼田市の新井の生家近く、利根町園原にはその功績をたたえる記念碑が建てられている。
日月潭紅茶の関係者一行もそこを訪れた。
【2023年追記】上記の記念碑は2022年に近くの薗原湖畔に移設されたようです
●魚池郷農会オンラインショップ(中文)
https://www.yuchi.org.tw/